山陽道 野磨駅家跡

山陽道 野磨駅家跡(さんようどう やまのうまやあと)は、古代山陽道の播磨国最西端に置かれた駅家跡です。発掘調査によって、古代山陽道と駅家の中枢施設の姿が明らかにされました。

古代山陽道は、約10mの道幅で、北側の丘陵鞍部から南側の山裾を目指して直線的につくられたことがわかりました。

野磨駅家の中枢施設は、塀に囲まれた駅館院(えきかんいん)と呼ばれるもので、はじめ掘立柱建物として整備され、のち北西の山裾に場所を移して、瓦葺礎石建物として整備されたことがわかりました。特に移転後の施設は、出土した瓦や壁土などから、柱を赤く壁を白く塗った非常に立派なものであることがわかりました。

野磨駅家は、『今昔物語集』などに説話の舞台として登場します。そこには、大蛇が巣くうほど荒廃した姿で描かれていますが、その話を伝え聞いた清少納言が『枕草子』にも記すなど、当時の都でも有名な駅家だったことがうかがえます。

全国に400カ所以上設置された駅家ですが、現在では開発などによってほとんどのこされていません。山陽道野磨駅家跡は、奇跡的に良好な状態でのこされており、古代国家の交通体系などを明らかにするうえで非常に重要な遺跡であることから、平成18年(2006)に駅家跡として全国初の国史跡に指定されました。

駅家とは

奈良時代の律令国家によって、全国に駅路(えきろ)と呼ばれる道路が整備されました。駅路には外国使節や役人らに対して、馬の乗り継ぎや食料の支給、宿泊所の提供などを目的とした駅家が、一定の間隔をあけて設置されました。特に古代山陽道は、都と九州の大宰府を結ぶ道として最重要視され、駅家は瓦葺で白壁の建物として整備されました。町内にも野磨と高田の2駅が設置されたことがわかっています。

施設名 山陽道 野磨駅家跡
住 所 上郡町落地字飯坂・山本・八反坪・両免
アクセス JR上郡駅から徒歩約30分
連絡先 0791-52-2911(上郡町教育委員会)