山野里から国境越えコース

■出発地:上郡観光案内所(行先:浅野長矩供養碑・山陽道野磨駅家・かな書壇の巨匠 安東聖空句碑・船坂峠・三石城跡など)

山野里大池の畔にある数々の治績を残した赤穂藩藩主、浅野長矩供養碑に向けてスタートします。

■マップ 

※目的地途中、道が旧道のため掲示ができません。予めご了承下さい。また、船坂峠から三石駅へ向かう際、国道2号線を歩くため車にご注意をしながら散策下さい。

JR山陽本線の「上郡駅」は、山陽鉄道時代の明治28年(1895)開設です。

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駅から見て右手に「上郡町観光案内所」があります。

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駅前ロータリーを左折し、西方向へ進みます。

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この先、左折して線路沿いを直進します。

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この踏切(JR山野里踏切)を渡ります。

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信号機のある交差点を右折して進んでください。

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真正面には「上郡ピュアランド山の里」が見えます。

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「上郡ピュアランド山の里」の駐車場からは山野里地区を俯瞰することができます。

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山野里大池の先に「上郡ピュアランド山の里」が見えます。

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「浅野長矩供養碑」(山野里大池畔)です。

※赤穂藩主浅野家三代目の「浅野内匠頭長矩」は江戸城松の廊下で吉良上野介義央に刃傷事件を起こしたことで有名ですが、その治世の時代には赤穂郡北部の河川や堤防、池沼の築造など治水、灌漑事業に注力しています。与井の土手、船坂の鳳宮池をはじめ、この山野里大池も元禄年間に修築されました。

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「山陽道野磨駅家跡」(上郡町落地)です。

※野磨駅家:古代山陽道の播磨西端の駅家跡です。平安時代に成立した説話集の『大日本法華経経験記』や『今昔物語集』に登場します。また、清少納言が『枕草子』225段で「山は(の)駅は、あはれなりしことを聞きをきたりしに」と記すなど作者の心を打つような出来事があり、特に印象深い駅だったようです。

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梨ケ原出身「かな書壇の巨匠 安東聖空」の句碑です。(旧梨ケ原小学校内)

”高杉のこすゑ するとし霧 はるゝ”  --聖空ーー
『高杉の梢ゑ  するどし霧 はるる』

※安東聖空:明治26年(1893)赤穂郡船坂村(現上郡町)梨ケ原に生まれました。大正9年文検習字科試験に合格し、書道の道に入りました。大正14年には書道研究団体「正筆会」を興し、その会長に就任しています。かな書道を研究し、昭和の関西書壇の先頭に立って、かな書きの地位を高めた「近代かな書壇」の創生者といえます。かな書きの普及のために「梅雪かな帖」などの習字手本を出版しています。昭和53年「聖空百人一首展」を開催するなど、かな芸術に高い業績を残しました。昭和55年には文化功労者になりました。昭和58年に没します。

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「明治天皇駐輦之碑」(上郡町梨ヶ原)です。

※明治18年の明治天皇の山陽道御巡幸の際、8月8日に、この地で御小休されたことを記念して建てられています。

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山陽鉄道時代の煉瓦積隧道(上郡町梨ヶ原)です。

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国道2号線に出て、次の分岐点を右折します。

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JR山陽本線の踏切を横断します。

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旧道(左手へ)を道なりに進んでいきます。

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船坂峠」(播備国境越え)です。

※国道2号線の岡山県側には歩道がありません。交通量も多いため、車には十分注意をして移動してください。

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「船坂山義拳之碑」(備前市船坂)です。

※隠岐に配流される後醍醐天皇を奪還しようと備前の武将児島高徳が船坂山で待ち伏せをしましたが、天皇一行は杉坂峠越えで西に向かったので、目的を果たせず、高徳は津山院庄の館に忍び込み、桜の木に後醍醐天皇への言葉を刻んだそうです。

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「播備国境の標石」(備前市船坂)です。

※元禄16年(1703)にたてられた国境標石です。「従是西備前国(これよりにしびぜんのくに)」と刻まれています。国境の標石は、この他に上郡町八保丙の山伏峠や赤穂市福浦にもあります。

※ご覧になられる際は、坂を下りますので足元にご注意下さい。

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JR三石駅に近づくと右手側(北側)に「三石城跡」が見えます。

※三石城跡:「太平記」によると、元弘3年(1333)に後醍醐天皇の討幕挙兵に呼応した三石保の伊東大和二郎が城を構えました。建武3年(1336)には、九州へ敗走する足利尊氏方と新田義貞との間で攻防が繰り広げられました。その後、赤松方の備前守護代浦上氏の居城になりました。天文年間には天神山(和気町)へと拠点が移りました。(詳しくは岡山県古代吉備文化財センターHPを参照してください)

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JR山陽本線「三石駅」です。

※山陽鉄道時代の明治23年(1890)に船坂隧道の東口に兵庫県赤穂郡船坂村梨ケ原に仮駅として開業、翌年の船坂隧道の完成とともに現在地に移転開業しました。

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「三石金剛川拱渠」です。

※JR三石駅を過ぎて少し行くと、この拱渠があります。4連の煉瓦拱渠は日本で2番目に長いものです(「岡山県の近代化遺産-岡山県近代化遺産総合調査報告書」)。

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